CMO#198 CMO #198 Top Page CMO #198
-- 25 December 1997 --

- From #198 we cite Four articles -
.. Index ........
* Thomas R CAVE (トム・ケーヴ先生介紹)
* OAA MARS SECTION
-- Mars Observation Reports of 1996/97 (#020)--
* CMO CLICKS (12) --
* 10 Years Ago (28)(Japanese)
-- CMO #041(10 Dec. 1997) & #042 (25 Dec. 1987)--


OAA MARS SECTION
1996/97 Mars Observation Reports , #020 ( 16 November - 1997 ) (English)
1996/97 火星観測報告 第20回 (1997年11月16日〜) (Japanese)

日本文はありませんので英文をご覧下さい。
(English)
back to INDEX


CMO CLICKS (12)
(English)
(Japanese)

 パースファインダーも故障してしまって動かない上に、マーズ・グローバル・サーヴェイヤー(MGS)も作業開始が遅れるようである:現在MGSは火星周回軌道にあって、近火星点付近ではヴァイキング探査機の画像より遥かに詳 細な近接画像を送ってきているが、しかし下記のURL
http://mpfwww.jpl.nasa.gov/mgs/status/upcoming/newplan_press.html
http://www.jpl.nasa.gov/releases/mgsnew.html
等の情報によると、MGSの火星面マッピングの開始は一年ほど遅れることになった。

 MGSは1997年九月中旬になって初期の長楕円の軌道から、近火星点通過の際に火星大気の上層でブレーキをかけながら、ゆっくり軌道を修正する「エアロブレーキング」の期間に入っていた。計画では、初期軌道では5万kmもある遠火星距離を450kmまで降下させて、1998年三月から火星面の地形撮影を開始する予定だった。
 しかし十月11日にはエアロブレーキングを中断して近火星距離を引き上げた。理由としては火星大気の抵抗が予想以上に大きく、二枚ある太陽電池パネルの片方が僅かだが後方に曲がってしまっているからだという。太陽電池パネルは衛星打ち上げの際にダメージを受けた疑いもあるらしい。

 数週間の検討を経て、1997年十一月7日から11日にかけて再び近火星点を低くする操作が三回に分けて行われて、エアロブレーキングが再開された。新しい計画では当初の計画よりも減速のペースを落として、ゆっくり火星周回軌道に近付けて行くことになった。また近火星距離も初めの110kmから120kmに変更になった。10kmの高度差は66%もの大気による抵抗力の軽減になるという。今回の新しい軌道では太陽電池パネルも影響受けることなく正常な位置に留まっているという。今後は1998年五月までの六ヶ月間で軌道を修正して、火星周回時間を初期の約45時間から12〜6時間程度の軌道にする。

 1998年五月になる直前にエアロブレーキングは一時中断される。良好な太陽との位置関係を確保するにはこの期間が必要であって、1998年十一月までの中断となる。その間の六ヶ月間には搭載されている科学測定機器を使って、可能な限りのデーターの収集を行うことになっている。毎日二〜四回、火星に近付いたときに観測をする。この期間にはマッピングの期間の高度よりも火星面の近くを通過することになり、解像度の高い観測が期待される。

 1998年十一月から1999年三月にかけては、二回目のエアロブレーキングの期間にはいる。探査機はこの期間に遠火星点距離が450kmになるまで軌道を修正して、二時間で火星を一周する様になる。

 1999年三月には、太陽との位置関係や方向を勘案したマッピングに最適な軌道に遷る。探査機はいつも火星の赤道上空を横切るときは火星時間で午後二時の地点上空を通過する様な軌道が要求されていたが、計画変更により午前二時に赤道を通過するような軌道になった。また、初期の計画では南行する極軌道であったが、北行する極軌道がとられることになった。こうして火星年で半年遅れるが、各種の科学観測の計画は変更なく実行されるようである。

 1999年は五月初めに地球と中接近する年で、地球からの視直径δも16秒角に達する。撮影開始の1999年三月には火星は北半球の夏の時期にあたり、三月15日には視直径は約12秒角、Ls=110゜になっている。地球上からの観測と同時にどのような火星面を見せてくれるかを、今から楽しみに期待している。
( Mk )
back to INDEX


From CMO#041 10 Years Ago (28)
- CMO #041 (10 Dec 1987) & #042 (25 Dec 1987) - (Japanese)

│ 火星は1987年十二月には朝方の「てんびん座」にあった。日の出時の地平高度は20度に達するようになって、視直径は四秒角を越えたばかりだが、観測のシーズンに入った。#042からOAA MARS SE TIONのコーナーが始まった。南氏が13 Dec(115゜Ls)から観測に入った。

 #041は未だ来信中心の編集だが、連載記事として、「D.C.パーカー氏の火星写真(1986年)の紹介」の九回目があり、七月24、27、28日の三葉のTP写真について一頁にわたる説明がある。また「Coming 1998 Marsの六回目として、「1988年の火星物理表・その3」(浅田氏)が掲載されている。1988年九月から十二月迄のデーターが示されている。  #041の来信ではDRAGESCO氏(ルワンダ)からSAF惑星表面委員会からの脱退の詳細を伝えてきている。またJPLのInternational Jupiter Watchの回覧も同氏から送られて来ていて、内容について浅田正氏が紹介している。
 国内からは沼澤茂美氏による、Kodak T-max100フィルムの水素増感効果と感色性に就いての実験データーが開陳されている。宮崎勲氏の便りにはご自身の結婚式の様子と金環食の印象などが語られている。その他にも中嶋厚彦氏・白尾元理氏・松本直弥氏の来信も紹介されている。

 末尾には「夜毎餘言」の四回目が短く掲載されていて、今回は高層天気図とシーイングに関しての話である。700m(今はヘクトパスカル)の等高線が3180b以上の領域に 入ると概ね良い視相になるとの経験則である。これが3000b以下の領域になると気象条件が悪くなるという。現在ではインターネット経由で、高層天気図他、各種の気象庁発表の天気図が以下のURLから取得することが出来る:
 
http://www.aix.or.jp/imoc/wxfax.htm

 #042の来信ではPARKER氏のLtEが面白い。CMOの阿久津富夫氏の記事についての感想が述べられてい るが、当時から青色光は問題があったし、工夫がなされていた訳である。1986年の南極冠の溶解曲線 もつけられている。更に、PARKER氏の1986年のカラー写真について二頁割かれている。また松本直弥氏の雑誌に掲載された写真の便利なリストもあり、松本氏の新しい44cmの天文台の写真(新聞から転載)も載っている。LtEには熊森照明氏 (Dall-Kirkham のこと)や、日岐敏明氏 28Novに雪、来期の決意)、阿久津富夫氏(TPとフィルターの問題、と木星観測)、宮崎勲氏(お正月の台湾旅行の計画)、松 本直弥氏(十二月1日に44cm搬入)などの来信が掲載されているが、岩崎徹氏の文面は淺田氏宛のものも南氏宛のものも、21cm反射を入手する際の面白い“体験”を別様に語っていて、当時岩崎氏はなかなか情熱盛んであったことがうかがわれる。他に長谷川久也氏の来信。編集後記(夜毎餘言)に依れば、この#042(十二頁建て)は年末も押し詰まって南氏が大津で印刷・発送しているようである。


(Mk) 村上昌己

back to INDEX


Back to Top Page
Back to CMO Index