日本天文学会2020年度天文功労賞(長期部門)の受賞
村上 昌己
CMO #511 (
この度、9月14日の日本天文学会年会において、火星課は「2020年度天文功労賞(長期部門)」をいただきました。これは永年にわたり火星の観測報告を火星課宛てにお送りくださった、国内外の観測者諸氏への顕彰でもあります。ご報告いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。
さらに今回の受賞を御推挙いただいた、京都大学大学院理学研究科附属天文台の野上大作准教授様には、深く感謝を申し上げたいと存じます。
受賞の理由としては、「87年にわたる火星の継続観測と、34年にわたる機関紙『火星通信 "Communications in Mars
Observations"』発行を通した国内外の火星観測者の交流促進」が、取り上げられました。
東亜天文学会の中で、火星の観測に努力を傾けられ、さらに火星課長として啓蒙活動や個人観測を集約し観測網を築き上げた佐伯恒夫氏や南政次氏の業績が認められ、関係された諸先輩も喜ばれている事と思います。
1933年に遊星面課内のグループとしてして活動を始めた火星課の前身は、戦後には火星課として、佐伯恒夫氏が国内のまとめ役として活躍されて「天界」にも多くの記事を執筆されました。この期間のことは、火星課ホームページ・ファサードの「東亜天文学会火星課の沿革」に詳しく南 政次氏が記事を書かれています。以下のURLからリンクがあります。ご参考にしてください。
https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/oaa_mars.html
● 足羽山天文台での観測活動
前課長の、南 政次氏は、福井の中学生時代から火星観測を始められていて、「天界」第354号-1954年7.8月合併号には、この年5月に富山で開かれたOAA大会に参加して、佐伯氏の講演を拝聴して、スケッチを見ていただいたことが「参加者より」というコラムに記録されています。この時、南氏は15歳でした。次の接近の1956年8月のノアキス黄雲の観測もあり、佐伯氏の著書「『火星とその観測』恒星社厚生閣刊」に、名前と記事が記録されています。
南氏の中学時代のサイエンスクラブで、一年後輩の中島 孝氏も同じく黄雲のプレ現象の観測者として取り上げられています。
このお二人が観測活動したのは、福井市足羽山の博物館(現・福井市自然史博物館)屋上の望遠鏡によるもので、夜間にも協力員として許可を得たものは自由に出入りできる環境が整えられ、控え室・仮眠所もあり、徹夜観測にも対応して素晴らしいものでした。
観測はもとより近年でも『火星通信』の発送準備や、観測者を集めての懇談会会場にも施設を利用させていただきました。大変感謝をしています。
足羽山天文台 五藤光学 20cm ED
refractorと
佐伯 恒夫氏 (南 政次氏 撮影 1985)
1969年ころからお二人はパートナーとして、足羽山の屈折望遠鏡で20分毎交代の40分インターバル観測を長年にわたって続けられました。仕事を持ちながらスケジュールを合わせて、連続して長時間の観測はご苦労も多かったことと思います。この博物館天文台と福井の観測協力メンバー ( CMO Fukui ) がなければ、今日の火星課の活動はなかったものと思われます。
足羽山での観測は、お二人の執筆で博物館の年次研究報告にまとめられていて、1990/91年観測からの別刷りが、ホームページ右欄の下部の「Mars@Fukui,
T Nakajima & M Minami」バナーからPDFファイルにリンクが付いています。また、お二人の出逢いとその後を綴った中島氏の手記も残されていて、以下のウエッブページで詳しくお読みいただけます。「中島孝氏の手記(3) 心象風景・天文活動」
https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/417/417_Nj.htm
足羽山での火星観測は、今回の接近では吉澤康暢氏が後を継いで、CMOSカメラによる「40分インターバル撮影」をされました。ギャラリーには多くの画像がアップされていますのでご覧ください。上記の年次研究報告にも纏められるものと思います。吉澤氏は2018年8月に南氏が足羽山で観測をされたときに御一緒された方で、この時が南氏の最後の観測となりました。
● これからの火星観測
眼視観測によるスケッチ、フィルム撮影による写真画像を経て、現在のCCD/CMOS素子カメラによるデジタル画像と、地上からの火星観測の手法も変遷してきました。また、HST衛星や火星周回軌道からの観測衛星画像も簡単に閲覧できるようになり、地上からの観測が詳細な画像と比較できるようになっています。
火星の気象を通じて季節により変化する火星面の状況を解釈しようとした南氏のアイディアも、いろいろ確認できるようになりました。一例として、季節により移動をする火星大気中の水蒸気の振る舞いが、いろいろな現象を引き起こすことが判ってきました。それを捉えるには、短波長域の青色光画像が必要です。そのような撮影にはフィルターワークが重要ですが、近年カラーカメラの普及と共に、単色光画像の撮影者が少なくなってしまっているのは残念なことです。
これからも、アマチュアの撮影による精密な画像に期待が高まります。我々が期待する撮影方針としては、南氏の推奨した「40分インターバル観測」があります。それは「連日の同時刻の観測で得られる、同じ中央経度の火星画像を比較して変化をチェックする」というのが主目的でした。それを続けても火星の自転周期が地球とそれほど変わりのないことから、次の日には10度ほど火星面の見える経度が変化するだけです。それでも同じ観測地では数日でその火星面地域は観測できなくなり、次に観測できるのは1ヶ月も先のことになってしまいます。連続して比較するには、地球上の経度の違う地域の観測を参照することが必要になり、グローバルなネットワークの構築が必要であることが御理解いただけることと思います。これが1986年からの、英文併記の『火星通信』発行の大きな目的でした。
「40分毎観測のすすめ」に関しては以下のURLから記事をご覧ください。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/387/Mo_Mk_387.htm
このネットワークが機能して、連続した観測がグローバルに繋がったのは、南氏がアメリカのリック天文台へ出張して観測をされた2005年の事でした。ヨーロッパで発生初期の黄雲現象が捉えられてCMOのメンバーにより追跡され、アメリカ東海岸、南氏のいた西海岸へと観測が繋がりました。e-mailによる観測情報が次々と伝わり、黄雲現象を火星の自転に伴い朝縁から夕縁までの様子を連続して捉えることが出来ました。この時の様子は、「奇蹟的だった十月18日GMT」に詳しく纏められています。下記のURLからご覧ください。
「奇蹟的だった十月18日GMT」"Miracles occurred on 18 October 2005" CMO 2005 Mars Note (7)
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/CMO324.pdf
(CMO#324, Ser2-p0469-
English, p0478- 和文)
● 戦前の「天界」記事から
次には、もうご覧になることも出来ないであろう、戦前の「天界」記事より、昭和12年(1937)の観測をご覧いただきます。まずは、伊達英太郎氏筆の火星図をとりあげます。
此の接近の最大視直径は18.4秒角の中接近(28 May 1937)でしたが、主要な暗色模様は捉えられていて、いまでは淡くなってしまった、モエリス・ラクス(Moeris L)−トト(Thoth)・ネペンテス(Nepenthes)の暗帯が、シュルティス・マイヨル(Syrtis Mj)からウトピア(Utopia)に達しているのもはっきり描かれています。
また、この火星図が掲載されていた号の表紙と表紙裏の火星スケッチをご覧いただきます。
このスケッチに取り上げられている四名の方が結成したグループからの発展がいまの火星課へと繋がっています。なお、渡辺恒夫氏は佐伯氏の旧姓です。
これら、引用した「天界」の旧号は、村上の所属していた天文部の顧問を永年勤められた、大崎正次先生の蔵書からのコピーであることを付け加えておきます。
● 終わりに
南氏の亡き後、火星課は英文による発信が出来なくなってしまいました。世界各地からの画像の入信はあり、英文ウエッブページには「ギャラリー」を設けていますが、英文の解説を付けることが出来なくなっています。ご協力いただける方を募っています。ご連絡をよろしくお願いします。