Ten Years Ago (182)

 

---- CMO #236 (25 October 2000) pp2819~2838  ----

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/236/cmo236.html

 


 

 今号から、"Forthcoming 2001 Mars" のシリーズが始まり、20016月の接近 (最大視直径δ=20.8") にむけての観測準備態勢に入っている。始めに「2001年の火星」 "Mars in 2001" が取り上げられ、引き続き「2001年の火星観測暦表(その1) "Ephemeris for the 2001 Mars. I " が掲載され、200011月・12月の物理表が表示されている。

 前者には、火星の2001年の現象と概況が軌道図と星座間の移動図を示して説明されている。2001年は一年を通して火星観測の出来る年であった。年初の視直径δ=5.2" からはじまり、最接近をはさんで、年末でもδ=6.3" を保っていた。傾きは南半球の観測に適した接近で、季節はλ=097°Lsから300°Lsの期間となり、南半球の冬至から春分を過ぎて夏至までが観測出来た。最接近は春分直後のλ=182°Lsであった。

 

 次いでは、1988/99 Mars CMO Note (14) 「タルシスの淡い明斑二個所」 "Tow faint light patches in Tharsis" である。午後の山岳雲の発生時期は北半球の夏至 (090°Ls) 前後から盛んになるが、タルシス山系の東側 (095°W, 05°N) と、オリュムプス・モンスの南西側 (150°W, 00°N) の午後の淡い明斑に関して考察が与えられている。青色光の画像に淡く表現されており、両地点共にやや高台になっていることもあり、山岳雲同様に地形による淡い雲のようである。

 

 LtEには、阿久津富夫(栃木)、常間地ひとみ(神奈川)、永井靖二(大阪)、比嘉保信(沖縄)、飯塚和良(月刊天文・東京)、森田行雄(広島)、岩崎徹(福岡)の国内各氏からと、外国からはSam WHITBY (VA,USA), Daniel CRUSSAIRE (France), André NIKOLAI (Germany), Damian PEACH (UK), Frank J MELILLO (NY,USA), Brian COLVILL (Canada) の来信が紹介されている。常間地さんからは活発だった太陽面観測の様子、阿久津氏・ピーチ氏などからは木星画像が添付されたe-mailが入信している。ピーチ氏の写りの良い木星画像は話題となった。

 

 後半には、K稿 (6) として、「火星の読み方」 "How to read Mars" が掲載されている。南氏が機会ある毎に述べている火星観測に向かう姿勢に関しての内容である。菫色雲・ブルークリアリングの否定、適応範囲をふまえた物理表数値の丸め方、火星の季節変化を理解しての現象の考察などの例をあげて、様々な情報の取捨選択を適切に行って、観測で捉えられた現象の真の姿を理解する姿勢はどうあるべきかを示している。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn1/Zure8.htm

    

 文末に「横濱での中島守正氏のお話を承けて、私の「讀み方」を繰り返した。」とあるが、TYA前号 (#181) の九月に開催された横浜での懇談会の記事の中に中島守正氏の発表が記録されている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/ws/08/ws8j.html

 

「福井便り・クアッラさん」もあり、九月はじめに福井を訪ねてきたクアッラ氏一家と福井在住のCMOメンバーとの交流が足羽山天文台ドーム内での記念写真と共に記されている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/ff/ff236.html 英文

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/ff/ff236j.html

 

 一方、TYA (62)は、CMO#094 (10 Oct 1990), CMO#095 (25 Oct 1990) を取り上げている。20年前の火星は夜半過ぎの「おうし座」にあり、十月20日には「留」となり、逆行に移った。視直径も十月中旬には15秒角にまで大きくなり、南中時間も午前三時台に早まって本格的観測時期が始まっていた。この期間に報告を寄せた方は外国から五名、国内からは十一名となった。筆者もこの期間に写真での初報告をしている。

 九月後半は日本本土では台風と秋雨前線で観測が振るわなかったが、沖縄の観測がカヴァーしている。前期も注目されていた南極域の様子は、この時期になって南極フードはほとんど消失していたが、まだ靄っている経度もあった。十月はじめには、アメリカからエオスあたりの黄塵発生のアラートもあったが、日本からの視野には届かなかった。CMO#094には翌年からの浅田正氏のアメリカ留学決定の記事もあった。

 http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/236/tya062.html  (Japanese)

                       

                               村上 昌己 (Mk)   

 

 


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