アンタレス研究所・訪問

 

11:ものを写すこと漢字というものは仮名やアルファベットなどの表音文字と異なり、ひとつの文字で意味を表し、一つの世界を表す、とはよく言われる。しかしディスプレイ時代の流れの中で、ドットの追いつかないような複雑な「旧漢字」は次第に簡略な姿に変身して、もとの意味を留めないものもある。キーボードが筆記具に取って代わり、「変換」に頼るようになったせいか、最近頓にその粗末な漢字にも疎くなり、書き順や撥ね・止めに至ってはお手上げ状態に近い。●漢字には深い意味や歴史があるのだが、それは活字のフォントを見ていても気付かない。例えば「口」という文字がある。これは口耳の「口」の形をそのまま表しているように見える。だから「告」という字は「牛」と「口」の会意文字で、「牛はものがいえないから、何かを訴えようとするときに、口を摺り寄せてくる」などという解釈が通っていたらしい。●しかし、甲骨・金文文字の研究者である白川 静氏はこの「口」が「(サイ)」という、神に祈り霊を祀る時に用いられる祝詞を納める器の形であることを発見する。白川氏は、甲骨・金文の文字には「」形を含む文字でこの形を口耳の口と解しうるものは一字もないと断じる。基本形としての「」の従来の解釈が誤りであるとすれば、その系列に属する数十の基本字とまたその関連字とは、すべて解釈を改めなければならない。誤解の元は「」を口の単なる象形と解し、文字映像におけるその象徴的意味を把握し得なかった点にある、という(『漢字百話』中公新書)。静氏に拠れば「告」はサイの上に神意を問う神桿(木の小枝)を繋げたもので、神に告げ訴えること。●ここでこの話を採り上げるのは従来の文字学に対する批判や、新しい視点を説明したいからではない。それは白川氏の『説文新義』(1969)他に任せることにして、「文字は文字以前の原体験を、その形象のうちに集約したもの」という彼の信条の背景には、甲骨・金文の膨大な資料をすべてノートに写し、またトレースして、「手を通じて記憶を確かめ、自分の中でそれを再組織する」(『回思九十年』平凡社)という営みがあったということを思い出したいからである。●上の「」の意味もそういう作業を経て発見された。何度も手で写し取りスケッチを重ねることにより、字源が浮かび上がってくるだけでなく、その文化の起源的な状況までが明らかになって行く。白川氏はその作業を「藝に遊ぶ」という。藝とは六藝(りくげい)、中国の古代の學藝の藝である。象形は象徴であり、それを描くこと、写し取ることによって「内なる存在の生」が見えてくるのだという。また「遊び」には愉しかるべき時間的な幅がある。時間を掛けて何度も描くこと、これによって見えてくるもの、浮かび上がってくるものがこうした世界にもあるというのは興味深いことである。       

(Ts)

           ・・・『火星通信#252 (25 October 2001) p3155

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