アンタレス研究所・訪問

 

§13:ベツレヘムの星「牧人(まきびと)ひつじを守れるその宵」("The first Noël the angels did say"讃美歌103)、街のあちこちにクリスマスツリーの灯が瞬き、キャロルが流れる。ツリーの頂上にはひときわ大きな星が飾られている。このThe first Noëlの二節以降にこういう歌詞が続く。「仰げばみ空にきらめく明星 夜昼さやかに輝きわたれり」「その星しるべに みたりの博士ら、メシヤを尋ねて はるばる旅しぬ」。基督が生まれたことを告げ、「三人の博士」を導いたという「ベツレヘムの星」伝承によるものである。

●マタイによる福音書(マタイ傳)は明星に導かれた東方の博士の情景を「彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった」と記述する(三人とは出ていない)。ルカ傳では野宿する羊飼いたちの上に「主の御使が現われ、彼らをめぐり照らしたので、彼らは非常に恐れた」とあり、またヨハネ傳でも「御霊が鳩のように天から下って、彼の上にとどまるのを見た」となっていて、星であるという表記は無い。ただ、いずれも何か天上の現象を窺わせるものであるとは言える。このダヴィデの街の上に輝いた「星」が何だったのか、これまでにさまざまな考証がなされている。●なかでも有名なのはヨハネス・ケプラーによる木星と土星の会合説であろう。BC7年の27May, 6Oct, 1Decの三回、木星と土星が「うお座」で会合する現象が見られたという。彼は初め1572年の超新星「チコの星」の前回の爆発現象説を掲げたが、資料不足で後に取り下げている(斎藤国治『星の古記録』)

●聖書に出てくる「博士」はギリシャ語でMagi。英語の聖書ではwise man(賢者)と訳されているが、Magiは占い師(英語のmagicianに通じる)のことで、新共同訳では、「博士」は「占星術の学者」と訳しなおされている。古来、天象を観察して天変地異を占う占星術師がいた。ケプラーもそれに近く、占星術師ケプラーとしては「うお」(ΙΧΘΥΣ)は当時の春分点として基督の象徴として相応しく、木星は「王の星」、土星は「盾」「砦」を象徴して意味深いものだったのであろう。●14世紀のイタリアの画家GIOTTEの描く基督降誕の聖画には、尾を引く彗星が描かれている。彼は1301年のハレー彗星を目撃したとされる。尤も長谷川一郎氏に依れば当時大きな彗星が多く現れ、必ずしもハレーであったとは言えない由で、ただ、当時の彗星への関心から「彗星ではなかったかとの考えが生まれたのも無理もないことであろう」とされる(『ハレー彗星物語』)。バチカンをはじめカトリックの聖画の星は皆尾が伸びているものが多い。●野尻抱影氏は、「Magiの井戸」に絡めて新星説である(『星と伝説』他)

●基督の誕生については実は確かな記録は何も無いようだ。その日にちさえ分からない。基督が「救い主」なら、ベツレヘムで生まれている筈というようなことから作られた逸話であるとも言われている。だからベツレヘムの星も、あくまでも伝承の星と言えよう。●ここでの伝承について考えるなら、「すべての人を照らすまことの光」を伝える最も哲学的なヨハネ傳の「御霊が降って」というのは最も抽象的であることから、具体化が起こったということであろう。ルカ傳の羊飼い達をめぐり照らすものも未だ抽象的である。抽象的なものに関しては、布教上も具体的な回答が欲しい。やや具体的な「羊飼い達」は古来星と星座の担い手であった。こうしてマタイ傳のように、この抽象的な光がダヴィデの街の上に輝く象徴的な星に結出するのもまた無理がない。「星」というのはいつも両義性がある。ケプラー達の試みは更に具体化しようとするものであろう。

●時は巡り、この年の聖夜の凍てつく夜にはどのような「星」が輝くのであろうか。今年の火星ファンには、西に沈む火星が何十年振りで引き起こした大黄雲の恵みでやはり今年のダヴィデの星であろうか。Merry Christmas and Best Wishes for the New Year! 

(Ts)

・・・・・・『火星通信#254 (25 December 2001) p3201

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