アンタレス研究所・訪問

§15:冬の月月にはさまざまな言葉があるが、英語のmoonmonthでは違うように、美しい、いい言葉とそうでない言葉がある。●月影(月の光)、月の雫()、月映え(月光が射して美しい)、月白(月が出るとき空が明るくなり白く見える)、月日貝(上下の殻の色が違う)など雅語に近い。「月立ち」が「ついたち」()になるのもいい。●しかし、「月割」「月賦」となると甚だ宜しくない。「月仕舞い」は語呂はいいが、内容は日常的。「月並」というと「毎月決まってそのことをすること」転じて「型に填まって平凡な様子」(三省堂「新明解国語辞典」)。元々このことばは芭蕉以来の伝統を重視した俳人たちが「月並俳句会」と呼ぶ句会を月毎に開いていたことに由来する。月並とは月例ぐらいの意味であったろう。しかし漫然と習慣化した月例句会を、俳句革新運動派の俳人正岡子規は批判した。●「月並俳諧」というのは子規の言葉で、自分たちの新派俳句に対して旧来の俳諧をこう呼ぶ。寓意性が顕で理屈を主とした作為性の強すぎる句などもこの類とされた。

●一方、「月花(つきはな)」は風雅なことを指し、賞翫、寵愛の対象となる。

 月花の 愚に針たてん 寒の入り(はせを)

俳句なども好い意味でも悪い意味でも「月花」である。これは月花に心酔する己を厳しく諌めた芭蕉の一句である。寒の入りとは小寒(285Ls)のことで、三里に針灸を施す慣わしのある日であったが、漂泊の旅を好む芭蕉は月花を愛する我が執着心の愚かさに針()を立てよう、という。醒めた目で己を客観視した句である。●「月」といえば、季語では「月見月」(陰暦八月)の月をいうが、「月待ち」というのは冬の寒い時にもあったようだ。毎月三日,十三日、十七日、二十三日、二十六日などの夜、月の出るのを待って、供物を供え酒宴歌舞して月を待った祭り(『広辞苑』)らしい。

 月まちや 梅かたげ行く 小山伏(はせを)

芭蕉が大津の乙州亭で越年し、年が明けて正月上旬に帰郷した時、伊賀上野の卓袋の宅(蕉門)で「月待の講」があるのに招かれて、門前を小山伏が梅の枝を肩にかたげて通っていくのを見て詠んだものだといわれている。三日月や二十六日月は「時」を知る以外この月待ちは「月花」に属するだろうが、十三夜や十七日月などはやはり、山伏が闇夜の山道を行くのに道を照らす月、心愉しい月であったかも知れない。未だ暮れる前、肩に揺れる梅の花が山へ向かう山伏の心の華やかさを映していると思わせる。元禄四年(1691)芭蕉四十八歳の作である。(Ts)

                           ・・・・・『火星通信#256 (25 January 2002) p3249

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